2001.07.08


 天気予報が外れ、まるで梅雨が明けたかのような良い天気の中、気ままにCRM80で山の中に入り込んでみました。場所は松本市と四賀村との境界の辺り。

看板  松本から国道143号線を北へ、刈谷原トンネルを抜け四賀村に出たところで山の方へ。小さな集落の中をうろうろしていると、こんな看板があった。看板には、

刈谷原峠

 古くは、仇坂と呼ばれ古代・中正には東山道、近世には善光寺道として栄えた交通の要衝である。
 中正には、刈谷原氏(小県郡の海野氏の出)が、後に太田氏が峠の押さえとして居城を構え、武田晴信(信玄)には難攻不落の地であった。
 近世には、城下町が宿場町(刈谷原宿)へ転化された。
 江戸時代後期の国文学者、菅江真澄の遊覧記では、往時峠には、野猿が群がっていた様子が記述されている。
 明治時代になって国道143号線の開通により峠路は寂れてしまった。

と書いてある。脇に立っている道標には、峠までは1.5kmとある。とにかく行ってみよう。

ダム ちょっと行ったところでこんなものが目に飛び込んできた。なんだこれ?巨大なコンクリートの樽が並んでいる。
 バイクを停め、降り口があったので降りてみた。この樽様のものはダムの一部だった。一つの円筒は直径8mくらい。それを7つ繋げた格好だ。こんな形式のダムは初めて見た。
 河原にも降りてみたが何もないので、即退散して峠を目指す。ほんのちょっと進んだところで道路の舗装がアスファルトから簡易舗装になった。いよいよ林道が始まるという雰囲気。

バイクの辺りから簡易舗装になる

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